学校の先生の進路指導は「参考」すべきものであって「尊重」すべきものではない
こんにちは。
前ぴょんです。
春は出会いと別れの季節と言いますが、冬は出会いと別れの準備期間というところでしょうか。
子供は進学先をどこにするのか、大人もそれをどう支援するのか、何かと悩ましい時季かもしれませんね。
今回は、そんな「進路」について思うことを書きます。
①私の納得いかない高校進学と、納得の大学進学
私はこれまでの人生の中で、一度だけ納得のいかない進路選択をしました。それは高校進学時の出来事です。
私は中学時代はソフトテニス部での活動に明け暮れ、良い指導者に恵まれたおかげでそれなりに良い成績を修めることができました。その指導者の大西先生のことは以前のブログにも書いた通りで、大西先生は赴任される学校が次々と全国大会に出場するようになるという「レジェンド」。指導者としてのソフトテニスの成績のみならず、そこに至るまでの考え方にも一貫して筋が通っていて、関わりのあった全ての教師の中で、私に最も大きな影響を与えてくれた恩人です。
中学時代は生徒も顧問も、それだけソフトテニスに熱を持った生活をしていたこともあり、私は中学校を卒業してもソフトテニスを続けようと思っていました。また私の一つ上の先輩方は、ソフトテニスで名門の香川西高校から推薦がきていたので、私は香川西高校に親近感を覚え、そしてその香川西高校に進学しようという気持ちが高まっていました。
そんな中学2年の冬に招待された「香川西高杯」という香川西高校の主催大会では、香川西高校の監督の前で良いパフォーマンスを発揮しようと、ずいぶんとその監督の視線を気にしていたことを覚えています(笑)
そして中学3年生の夏の大会が終わってから、やっぱりきました、香川西高校でソフトテニスをやらないかという打診が!(ドヤ顏)
聞けば兵庫県選抜のチームメイトだったヤツらにも声がかかっているようで、それだけのメンバーが揃えばインターハイを制覇できるチームが出来上がるんじゃないかとワクワクしていました。
ところが、です。
「俺は中学校卒業したら香川西高校に行ってソフトテニスするわ。」
と父親に告げたところ、
「あほう、お前高校に行ったらテニスなんかしとらんと勉強せい。もしスポーツやってケガでもしたらその道で生きていけへんやろ。香川はあかん。柏原高校に行け。せやないと金は出さん。」
と、地元の県立高校にしか進学を許してもらえませんでした。しかも、
「あ、柏原でも理数コースやぞ。理数コースやったら潰しが効くからな。」
と。
その当時、柏原高校普通課には「普通コース」と「理数コース」なるものがあって、「理数コース」は旧氷上郡(現丹波市)内の偏差値高い奴トップ50くらいのうち40人が進学するようなコースで(適当な肌感覚)、私のようなテニス馬鹿が進学するようなコースではありませんでした。
ただし、理数コースの受験日は2月中旬で、普通コースはその1ヶ月後の3月中旬。理数コースを受験して不合格になった場合、1ヶ月後の普通コースを受験することもできます。だから、どうせ理数コースを落ちても普通コースを受験できるんやから受けない理由はないやろ、というのが父親の言い分。
まぁ不合格になっても道が残されているのはわかるけど、そういうことじゃなくて、そもそも熱中していたソフトテニスよりも潰しが効く学問を、そしてその学問の中でも文化系学問よりも潰しが効く理数系学問を、と、「潰しが効く」という理由で自分にはなんも興味もないコースを押し付けられても、挑戦する気になんてなれません。
だけど柏原高校じゃないと金を出さないと言う。金の稼ぎ方なんて知らないし、悔しいけど現実的に今回は柏原高校理数コースを選択しなければならないのか。 なんで俺はこんなにも父親の言いなりなんだろう。俺の人生は誰のものなんだ? しばらく悩みましたが、前川家では父親が言うことは絶対で、柏原高校理数コースの受験から逃れることはできませんでした。
そうなると、もう思考を切り替えるしかありません。今から猛勉強して合格して、周囲に驚かれ「わー、すごーい!」ってチヤホヤされてやろう。そう思うようにしました。
そうして勉強のやる気がみなぎり、過去最高に勉強に集中していた中学3年生の秋に、担任の先生と母親と私の3者面談がありました。そこでそれまでの経緯を話し、柏原高校理数コースに挑戦することを担任に告げました。私は、その挑戦について担任から応援してもらえるものと思いきや、
「理数コースはレベルが高いからなぁ。前川くんの成績やったら受けても受からんやろうし、もし仮に合格したとしても、その後落ちこぼれになるくらいやったら、普通コースがええんちゃうか。」
とのご返答。
もうなんやねん!(笑)
こっちは理数コースを受験することで腹をくくってんのに、担任がそのやる気をなくすようなことを言うて生徒の挑戦を妨げてどないすんねん!と思いました正直なところ。
もうそれ以上大人の都合で振り回されたくなかった私は、理数コースを受験する態度を硬化しました。先生は困った顔をされていましたが、私の人生の選択にあたり、先生が何か困ることでもあるのかしら。
そうして負けず嫌いの私は、短期集中の猛勉強をして柏原高校理数コースに合格することができました。
さらに入学後、その理数コースでカノジョができまして、そのカノジョが神戸大学に進学したいと言うので、私も神戸大学に行こうと決め、高校時代はよく勉強しました。その動機はいたって純粋で、自分のため。自分が考えて、選択したこと。おかげでモチベーションは高く維持でき、落ちこぼれることもなく、神戸大学に進学しました。納得の進路選択です。
両親も神戸大学なら許してくれました。やはり国立大学が良い、と。たまたま利害関係が一致したんでしょうね。
こうして私は高校進学と大学進学という2つの進路選択を経験してきたわけですが、利害関係が父親と一致せず、さらに担任から挑戦を妨げられた高校選択のいざこざについては、未だに何かモヤモヤしています。
自分の進路でさえ自分の意思で決定できなかったことは、その後の自分にとっては悪影響な側面が多々あったと思います。少なくとも成長の機会を逸したのは確かです。学力がどうとか、テニスの技術がどうとかいう成長ではなく、「自分で考えて行動する」という誠に人間らしい成長をする機会を逸しました。
もっと言うと、仮に香川西高校に進学して、身体を故障して、ソフトテニスができなくなったとしても別に良かったんじゃないかと思います。あー、親父が言うてた通りやったなー、ってそこで初めて腹落ちする。それは他の誰の責任でもない、自分の責任。納得の失敗。その失敗させる機会を奪うことは、成長を妨げることになるのです。
ただし、やはり家庭の事情はあるわけだから、経済的な理由で希望進路を変更せざるをえないということは、受け入れざるを得ないとは思います。
②学校の先生の「進路指導」は参考にするべきことであって、尊重するほどのものではない理由
さて、私の高校進学にあたっては、父親と担任の先生から指導?アドバイス?をもらったわけですが、やはり進路を選択する際にとても大きな影響力を持つ存在が、親と学校の先生と言えるのではないでしょうか。
では学校の先生の「進路指導」における意見は、尊重されるべきなのでしょうか?
私が考える答えは「NO!」です。
先生に指導していただく内容は大いに参考にすべきであって、尊重すべきものではありません。この違い、よくわかってほしい。
その理由をいくつか並べます。
⑴学校の先生は生徒の将来の責任を負うわけではないから
私は進路のアドバイスの責任は負いません。もちろん、生徒のために考えを尽くしますし、私だけでは不十分だと感じれば生徒の進路選択において役立ちそうな人を紹介したりしています。ですが、最終的には本人に自立してほしいから、自分の進路は自分で決めてほしいと考えています。
仮にそこで私が責任を負うと生徒の自立が遠のきます。何か失敗した時に、「まえぴょんが言うたからこの大学に行ったのにー」とかいう言い訳が始まると、いつまで経っても自分の人生を自分の足で歩めないですからね。
また、こちら側のキャパの問題もあります。我が子の将来の責任を負うことすらたいへんなのに(それを負うか否かは自由だけど)、仮に私が学校の先生のように毎年40人ずつ責任を負うべき対象が増えるのであれば、担任就任5年間で200人?そんな数、名前を覚えるだけでもたいへんなのに、その子たちの将来までの責任は負い切れません。
実際に、私が知る限りの学校の先生で、生徒の将来の責任を負っている人を見たことがありません。もちろんそれだけの気概を持った先生はいらっしゃいます。ただし、気概を持っているのと、現実的に責任を負うのは似て非なるものです。本当に責任を負うのであれば、その意見は尊重されてよいかと思いますが、その気概があるだけなら、その意見は参考程度に聞いておけば良いと思います。
つまり、生徒本人の成長のためにも、先生のキャパためにも、先生の意見は参考程度でいいんじゃないでしょうか。
さて、一方で親御さんはどうでしょうか。高校や大学などの進学に際しては家庭からの経済的な援助が必要になることが多いでしょう。我が子とは言え、限りある家庭のお金からその費用を捻出していただくのであれば、その親御さんの意見はそういう意味では尊重されるべきかと思います。
⑵先生の「進路指導」は、生徒個人の将来よりも全体調和のための指導になっていることが多いから
私の時の担任に限らず、少なくとも丹波市内の中学校の先生というのは、できるだけ高校受験に失敗させないように、あの手この手の配慮をしてくれます。その最たるものは、生徒の希望進路を「上手に」振り分けて、その年に高校受験の不合格者が出ないような調整をすることでしょうか。
丹波市の場合、市内に県立高校が3つあります。そのうち柏原高校と氷上西高校は普通科のみ。氷上高校には農業科と商業科があります。ですので、柏原高校と氷上高校では学ぶ内容が大いに異なります。それにも関わらず、「君は柏原高校に行ける学力ではないから、氷上高校に進路変更した方がいい」という「進路指導」がまかり通っています。
いやいやいや、両校では学ぶ内容がかなり違うのに、高校で学ぶ内容までを中学校の先生が誘導しちゃうの?
百歩譲って、今はもう3年生の受験直前期で受験当日までに学力を伸ばすことができないから!という切羽詰まった状態であれば理解できなくはないですが、まだ中学2年生のタイミングでも、現場ではそのような指導がなされています。
いやー、さすがにこれはなんか違うと思う。当の本人が柏原高校に行きたいと言うのであれば、その理由が何かを聞いてあげて、本人の希望を叶えるためにはどうしたら良いのかを一緒に考えてあげるべきかと。。
その安易な「進路指導」は、その生徒に高校で興味を持っていないジャンルの勉強をさせることに繋がるし(そんな勉強をしても身につきにくい)、その先の進路にもある程度の影響を及ぼすことになります。
じゃぁなんでそのような「進路指導」を行うかというと、不合格者をできるだけ出さないような全体調和からきています。
子供達一人ひとりのやりたいことを応援するのではなく、それを犠牲にしてでも全体の調和(不合格者を出さない)を優先する、そんな全体主義的な「進路指導」は尊重されなくてもいいと思うわけです。個人的にはその思想は今の時代に合ってないようにも思うなー。
これは私見ですが、高校受験くらい不合格になってもいいと思っています。不合格になること自体が悪なのではなく、不合格になった子供を寛容に受け入れてあげない家族や社会がよろしくないんだと思うのです。私なら我が子が自分にとって難易度の高い高校受験に挑戦し、結果失敗したら、「ナイストライ!」って褒めて抱きしめてあげるけどな。
(本人は抱きしめられるのを嫌がるかもですけど)
ちなみに、少し話は本題から逸れますが、このように不合格者を出さない受験は、生徒の学習意欲低下に直結しています。まぁそりゃそうですよね、見事な調整によって定員を超えることがないんだから、無理して勉強しなくても進学できて困らないわけですもん。そんな状態で嫌いな勉強を誰がするのか(笑)
だから、そうやって勉強不要の受験システムを作るのであれば、勉強そのものを「嫌い」から「好き」なものであるという認識に変換させていかないと、勉強するはずありません。だから、中学校では勉強を「好き」「楽しい」っていうものに思わせる工夫が求められているんでしょうが、実際に現場でどんな工夫がなされているのか、とても興味のあるところです。
あんなに大量の宿題を出して勉強が好きになるはずごにょごにょごにょ。。。
⑶先生の「進路指導」は、生徒個人の将来よりも学校の体裁を優先する指導になっていることが多いから
あるところに、公務員志望の高校生がいました。彼は高校を卒業と同時に公務員になりたかったのですが、残念ながら採用試験で不合格となりました。そして、地元の工場で働きながら勉強をして、来年の採用試験をもう一度受験しようと考えている、という算段を進路指導部に伝えました。
すると、先生からは
「一度就職したら、3年は辞めないでほしい。うちの高校の卒業生はすぐ辞めると思われたくないから。」
という理屈を告げられましたとさ。
なんなんでしょうかね、本人そっちのけのこの理屈。少なくともこの「進路指導」は目の前の生徒のことを思ってのことではないですね。高卒で地元の工場勤務だと、月給15万円程度でしょうか?一方で先生をはじめとして公務員はもっと高いですよね。最低3年はその工場勤務を続けろ、ということは、その生徒の夢を叶える機会損失でありますし、彼の生涯獲得収入を下げる可能性が高くもなります。それでもなお自分たち学校側の体裁を優先させようとする「進路指導」が、平常運転しています。
さらに言うと、県立高校においては、国公立大学への進学を勧められますが、あれも参考程度に聞いておいていいです。
なぜなら、その多くはその生徒の将来のことを考えての「指導」じゃないんでね。国公立大学への進学実績が良ければ、学校や教員が何かと評価されるので勧めているようなもんです。その生徒の人生のことを考えた結果勧めているわけではないのです。そのような「進路指導」を、あなたはどこまで尊重できますか?
そうそう、昨年夏に、件の柏原高校理数コースの同窓会が開かれました(甘酸っぱかったよ)。理数コースは3年間同じクラスメートでして、我々の時は担任も3年間同じK先生でした。そして、確か40人中20人以上が国公立大学に進学したのかな?(うろ覚え)
で、今回はそのK先生も同窓会に来ていただけることになり、その先生の送迎を私が担当することになったので、先生のご自宅から同窓会会場までの車の中で、いろんな話をしていました。その中で、同級生のAくんの話になりました。
K先生:「あいつには四国の国立大に行ったらどうやと勧めて、そこに進学してくれたんやけどなぁ、その後すぐ仮面浪人して次の年に早稲田大学に行ったんや。なんかなー、当時はとにかく国公立大学ということで勧めとったんやけど、私がしとった進路指導は果たしてあれで良かったのかと、お前らのクラスのことを思い出す度に考えるんや。」
とのこと。個人的にはK先生は恩師です。中学時代にそこまで好きじゃなかった数学で高得点を取れるようになったのはK先生の数学的思考が気持ち良かったから。人間的にも偉大で、高校時代の精神的支柱でした。だけど、進路指導においてはよくわかりません。そういうもんだと思います。(私は彼女を追いかけるようにして進学先を決めたので、K先生の進路指導は右から左でした(笑))
⑷先生の「進路指導」は、全体調和や学校の体裁を優先するというか、そもそも生徒個人の将来のことを真剣に考えていない場合もあるから
ある高校生が進路相談にやって来ました。聞くと、将来どうして良いかわからない。だから行きたい大学も、学びたい分野(≒学部)すらも定まらない、と。
しかし、それ以前に彼からは「将来は数学の先生になりたい」という話を聞いていたので、そのことについて尋ねてみると、高校の先生から
「お前は数学の点数が低いから、数学の先生は諦めて、受験科目に数学がない大学を選べ」
という「進路指導」を受けたので、自分のやりたいことが消えてしまって迷走しているとのこと。
ふむふむ。
本人は数学の先生になりたいと言っているのだから、それを応援すべく、数学のどこが苦手でどうやって克服したらいいのかなどを指導するのも一つの手だと思うけど、彼の場合はそもそもその夢を捨てさせる簡便な指導をされたわけですね。付き合い悪いなー(笑)
それじゃあんまりだわ、と思い、高校で数学の教員をやっている私の友人に相談すると、受験科目に数学がないにも関わらず、将来的に数学の先生になる道が残されている稀有な大学が世の中にはあるんだよ、と教えてくれました。
それは数学が苦手な人間が数学教師になるための苦肉の策かもしれませんが、夢に向かってそういう可能性が残されているのであれば、そこにトライするのも一つですよね。そういったことを調べもせずに、安易に子供の夢を消してゆく指導は好きじゃないなー。
⑸社会のことを知る機会が少なかった一部の学校の先生だと、進路指導を行うにあたっての十分な情報がないから
そう言えばある現役高校教師が、「学校の先生の進路指導っていうのは、学校の先生になる方法しか指導できません。以上!」と潔く言い切っておられました。
まぁそりゃそうですよね。私だってそう、自分が経験したり見聞きしたものでないと、人にアドバイスすることは難しいです。
大学を卒業してから学校以外の職場を経験している先生であれば、この世の中にはどんな仕事があって、そしてこの資本主義社会で生きるために必要な能力はどんなものか、などのアドバイスもできるでしょう。
しかし大学を卒業してすぐに学校を職場にした先生は、学校以外の社会で生き抜いた期間が少ないので、進路指導やキャリア教育をするなんてかなり難しいことです。私がその立場なら白旗を揚げます。
そもそも学校の先生は教科教育のスペシャリストとして選抜試験が課せられているのだから、進路指導やキャリア教育に関してはその専門から外れています。なので、一からその分野を勉強して、経験を積んで、自分にその能力をつけていくか、もしくは学校外の民間人を含め、他人にそのタスクを振るしか手段がないのでは??
③進路選択にあたっては、とにかく社会のいろんな人の話を参考にしてほしい
ちなみに先述の潔き高校教師は、自分ではできない範疇の進路指導に関しては、いろんな地域の大人を生徒たちに紹介し、対談する機会を持たせることで補完されていました。
ただでさえ学校の先生は忙しいと言われる時代ですから、専門外のことを外部に投げるというのは、とても合理的な手段だと思います。
しかしそのような対応をしてくださる先生はごく稀で、今はキャリア教育に関して十分な環境が整備されているとは言いいにくい状況かな。
だから、子供達にはぜひ、自分の足で情報を取りに行ってほしいな。
具体的には、もっと地域の大人と触れ合って、社会にある多くの職業や、それを取り巻く社会情勢はもちろんのこと、その大人の考え方や生き方なんかにも触れてほしい。教科書を読んでも触れることができない魅力がそこにはいっぱいあるからね。
そうして、自分がやりたいことと、社会が求めていることの重なりがどこにあるのかを探してほしい。その探求の旅は、自分の人生が続く限り終わらないのかもしれないけれど。
そう言えば以前、近隣の高校の教頭先生とお話した時に、「私は社会に出て行く教え子たちには、『社会で活躍するためには、他人がやりたがらないことを進んでやっていけばいいんだよ』って指導してるんですよ」とニッコリと言われたことがあります。実際にその教頭先生が他の先生がやりたがらないことを自ら進んで実践しているかどうかかは知らないけれど、私とは考え方が異なります。そう、世の中にはいろんな考え方があるのだ。
みんな、いいかい、自分の進路を選択するにあたっては、多様な人の意見を参考にすると良いですよ。学校の先生の意見もその一つ。だから、学校の先生が行う「進路指導」は、あくまでも参考にするものであって、尊重すべきものではないからね!本当に尊重すべきは、自分の意見なのだ。自分の人生なんだから、自分で生きようぜ。
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