事実・心情を整理して、抽象思考したら友だちと仲直りできたという話と、国語教育に関する私見
こんにちは。
前ぴょんです。
授業はライブだ
最近の「ろじかるんるん」は、その時集まった生徒たちが日々感じていることなどを聞き、そのことについて論理的に考える即興「ライブ」をやっています。
今やネット回線を繋げばとても優秀な講師による講義が安価、または無料で視聴できるので、「ろじかるんるん」では、この場所この時間でしか味わえない双方向型「ライブ」をして、わざわざ教室に集まってもらう価値を高めたいと思っています。
まぁ、ぶっちゃけて言うと、私がやってる「ろじかるんるん」は人気がないんですよ(泣)
やっていることがマニアックすぎるのかなぁ。けっこう本質的なことをやっているつもりなんですけどね。日常生活もラクになって、テストの成績も上がる、そんな講座なんで。ま、それに生徒が気づかないなら仕方がない。まずは気づいてくれた人を大切にします。
その場でAくんの悩みを傾聴し、事実と心情を整理
Aくんが打ち明けてくれた悩みを傾聴する
さてさて、先々週の「ろじかるんるん」では、生徒Aくんが学校での悩みを打ち明けてくれたので、そのことについて考えました。
なんでもAくんから聞いた話によると、部活やクラスでケンカをしているとのことでした。ちょっと感情的にもなっていそうだったので、こういう時はまず事実や心情を整理していこう、と対話のモードを「傾聴」に切り替えました。間違っても、「それはお前の口のききかたがマズかったんちゃうの?」なんて言ってしまうと、「もうこのオッサンには話したくもないわ。」と思われてしまうので、「傾聴」。我ながら成長したもんです(笑)
Aくんが言うには、
同じ中学校の部活のメンバーのイヤな奴一人とケンカをしていたら、他のメンバー五人が加勢して相手側につき、一方的に口げんかをしてきた、
というのが事実らしいです。
(実際には相手側からも聞いてみないと断定はできないけど、とりあえず彼から聞いた話の限りでは、こういうことでした。)
人間は「出来事・事実」→「心情」→「言動」というプロセスを取る
で、人間はそのような出来事が起きた時には、次の瞬間に自動的に感情・思い=心情が湧いてきます。続いて、その心情に付随するような言動を取ります。つまり、
「出来事・事実」→「心情」→「言動」
というプロセスを、意識下・無意識下に関係なく、全自動で起こしているのです。
その中でも「心情」は一瞬で起こり、移ろい、そしてまた複数の心情を持ち合わせることもあるので、じっくりと自分の感情・思いに向き合わないと、整理することは難しいものです。
そこで、今回の事実が起きた時に、彼はどんな感情・思いになったのかを丁寧に拾っていきました。すると、
Ⅰ. ムカついた→一回全員を殴ってやりたい
Ⅱ. (言い負かされて)悔しかった→次は俺が言い負かして黙らせてやりたい
Ⅲ. 仲良かったのにコロっと変わって、信頼ができない、気持ち悪い→縁を切りたい
という順番で「心情」→「言動」が出てきました。
もちろんこれはケンカをしている時にここまで整理できているわけではありません。カウンセリングの要素を取り入れた対話の中から、その時の心情を一つひとつ思い出してもらって、丁寧に整理していきました。
事実と心情を整理して気持ちが落ち着いてから解決策を考える
事実と心情を整理すると、気持ちが落ち着いてくる
このように「出来事・事実」→「心情」→「言動」整理していくと、自然と気持ちも落ち着いてくるものです。話していくうちに、だんだんと彼の様子は落ち着いてきました。
そこで、「じゃぁこのⅠ、Ⅱ、Ⅲを出し切った今、『言動』で自分が優先したいのはどの順番?」と尋ねると、
①→Ⅱ 次は俺が言い負かして黙らせてやりたい
②→Ⅰ 一回全員を殴ってやりたい
③→Ⅲ 縁を切りたい
という順番でした。
心情を尋ねた時に最初に口に出てきたのは「 Ⅰ. 一回全員を殴ってやりたい」でしたが、気持ちの整理が進んだのか、そこまで暴力的ではない「Ⅱ. (次は)俺が言い負かして黙らせてやりたい」の優先順位が上がりました。
「アクション」と「リアクション」
冷静さを取り戻してきてから、「じゃぁ実際にどんな口げんかをふっかけられてんの?」と尋ねると、
Aくん「名前にイヤなあだ名をつけていじってきたり、部活のプレーのことでいじってきたり。」
前ぴょん「で、そういうことを言われて、Aくんはどういう『リアクション』してんの?」
Aくん「え、同じようにそいつのあだ名を言ったり、部活のことでいじったり。」
前ぴょん「あ、相手と同じ次元の『リアクション』をしてるのね。」
ここで、「アクションとリアクション」の話をしました。
「相手があだ名でいじってきたら、同じくあだ名のいじりで返す、相手が部活のプレーのことでいじってきたら、同じく部活のプレーのことでいじり返す。これは『アクション』ではなく、何かをされて反射的に反応してる『リアクション』やねん。この『リアクション』を繰り返してる限りは、コトは何も前に進まへんで。だから、『リアクション』の応酬ではなくて、こちらはこちらで自分の頭で考えて別の『アクション』を起こせるように考えてみよ。」
大人の世界でも不毛な「リアクション」だらけなんでね、、若いうちに学んでもらいたく。
前ぴょん「じゃぁ他にどんな対応が取れると思う?」
Aくん「ガン無視。」
前ぴょん「お!いいねー!それは相手からしたら肩透かしやろうから、これまでとは違った関係性になるかもよ!?他に何かある?」
Aくん「うーん。。」
前ぴょん「もしガン無視が通用せんかった場合に備えて、他の手段もあった方が気持ちにも余裕が生まれるやろう。じゃぁここでちょっと整理してみよか。」
アイデアを出す時には、具体と抽象を行き来する
抽象度を上げて、網羅的にアイデアを出す
ということで、ここで「抽象度」の話をしました。
前ぴょん「俺はこういうことを考える時には、個別具体の案を思いつきで出すという他に、抽象度を上げて、上から降りてくることもするねん。つまりな、」
つまりの先は話はこういうことです。
「ガン無視」は具体的な手段で、その他を思いつかなさそうな時は、抽象度を一段上げて、「モレなくダブりなく全体を分ける」ようにします(専門用語で「MECE」といいます)。ここで言うと、「不仲な友達が居る場で自分が今よりラクになるアクション」という抽象的な手段の全体を大きく分ける、ということ。そうすると、
・相手との仲の悪さを軽減する
・相手と触れる機会を減少させる
とすることができます。前者は関係性を良くする。後者はそもそもの接触機会を減らす。もしかしたら他にも抽象手段があるかもしれませんが、講義の中ではこのように分けました。
続いて、その抽象手段の下にありそうな具体手段を考えます。
「相手との仲の悪さを軽減する」の下には、
・仲直りできるよう働きかける
・先生に仲裁に入ってもらう
という具体手段が出てきました。今回はそこまでやりませんでしたが、「仲直りできるよう働きかける」はもっと具体化した方が現実味がありそうですね。
また、「相手と触れる機会を減少させる」の下には、
・ガン無視(「リアクション」が減って、接触機会は減りそうだから)
・縁を切る
・(学校に通うのを)辞める
がリストアップされました。
アイデアが出揃ってから、優先順位をつける
そして、これら5つの具体手段の中から、まずやってみたい優先順位をつけてもらうと、
1、ガン無視
2、先生に仲裁に入ってもらう
ということだったので、まずはケンカ相手のいじりをスルーしてみて、それでも奏功しなかったら、先生に仲裁に入ってもらおう、という流れでトライすることになりました。
彼は以前から「ろじかるんるん」を受講していて、「具体と抽象」の関係についてはそれなりに理解をしているので、「抽象度を上げる」という言葉の意味が理解できるから話が早かったです。おかげで「リアクション」の応酬ではない、別の方法を考えることができました。
成果のあったAくんのその後と、国語(現代文)の重要性
Aくんは見事に友だちと仲直り!
そして1週間後、その後の関係はどうなったかと尋ねてみると、相手のいじりに対してスルーしていると、ケンカは激減して、今では遊びに誘われるようになったんですって!なんだ、リアクションの応酬でじゃれ合ってただけなのか(笑)とすら思えるほど、今のところとても大きな効果が得られたようです。
今回関わった内容をまとめると、
①:事実と心情を整理して落ち着かせる
②:①に基づき抽象思考でMECEしてできるだけ多くの解決手段を持ってもらう
③:②で出てきたプランに優先順位をつけて、実行してもらう
ということなんですが、この①②は現代文をしっかり学べばできるようになるんだと思っています。
物語文章で人の気持ちを考えて、テストの点を上げながら、実生活も豊かにしよう
物語文章での心情問題の問いに対する正解の導き方
まず①について。
「出来事・事実」→「心情」→「言動」というプロセスを経るのは、人間に組み込まれたシステムみたいなものです。そしてこの構造を知っていないと、現代文の物語文章の多くの問題が解けません。
例えば、今回Aくんは当初、「次は俺が言い負かして黙らせてやりたい」と考えたわけですが、現代文の物語文章だとその理由を聞く問題が出題されます。
問題:Aくんが「次は俺が言い負かして黙らせてやりたい」と考えたのはなぜですか?
みたいに。それに対して、
答え:ケンカ相手に言い負かされたから
と答えてしまうと、不正解になります。なぜかというと、「出来事・事実」→「心情」→「言動」のプロセスの「心情」をすっ飛ばしている解答だからなんですね。なもんで、
答え:ケンカ相手に言い負かされて悔しい思いをしたから。
と、その時の登場人物の「悔しい思いをした」という心情を入れてやると正解になります。
そして、現代文の問題では、この登場人物の心情というのは文章中に書かれていないことが多々あります。ただし、
「彼女はノートを投げつけた」
「彼の顔はみるみる青ざめていった」
「誠くんは肩を落として去っていった」
のように、「言動」は描写されているので、
「彼女はノートを投げつけた」→怒ってるのかな?
「彼の顔はみるみる青ざめていった」→何か恐怖を感じているのかな?
「誠くんは肩を落として去っていった」→ガッカリしたのかな?
という具合に、その言動から心情を類推していくのです。この時、一つの言動から心情を決めつけるのではなく、文中の複数のシーンから全てに当てはまる心情を考えることが重要です。
まぁ要は、「人の気持ちを考えろ!」って話です。だから人の気持ちを推し測ることができれば、現代文の点数は自ずと上がります。
心情問題の解き方を実生活に活かすこともできる
また逆に、物語文章の問題を構造的に理解して解けるようになったら、自分や他人の気持ちを推し量ることに活かすこともできます。
多くの人は自分の心情にベクトルを向けることなく生きています。そんな時、例えば今回のAくんのように、自分はどういう気持ちになったんだろう?こんな気持ちになったのはなぜなんだろう?というように、自身に問いかけることは自己理解を深め、生きやすさに繋がっていきます。
また現代文の物語文章と同じで、他者に対して明確に気持ちを語りたがらない人もいます。(前述の自分でも自分の気持ちをよくわかっていないこともあるし)。でも、その内側に秘めた気持ちは何かしらの言動に現れているはずで、そのシグナルを見過ごさずに正確にキャッチできれば、他者の気持ちを慮ることができます。
例えばうちは妻と仲良しで(たぶん)、普段は穏やかに過ごしていますが、とは言えたまには妻の機嫌が悪くなっている時もあります。そんな時、
「私は今イラっとしているの!」
と明確には宣言されません(笑)。
ただ、食器の扱いが普段より荒っぽいとか、私が声をかけた時の反応が短文の敬語になる(笑)だとか、そういった表層に現れた言動から
「あー、イライラしてるんやなー。」
と類推することはできて、
「なんでイライラしてるんかなー。(見渡して)あー、オレが食べ終わった食器をテーブルに残したままやったからイラっとしてるのかー。」
なんていう気づきが得られたりします(妻はキレイ好きなんでね)。そうすりゃ、しれーっとお片付けして「ごめんちゃい」って謝れば、だいたいは事無きを得ます。
物語文章と向き合って、「人の気持ちを考える」ことに慣れ親しんでいくと、自分の生活だって豊かになると思いますよ。
評論文で「具体と抽象」「抽象度」の概念を理解して、テストと生活に活かそう!
「抽象度」のコントロールで問題解決
次に「②:①に基づき抽象思考でMECEしてできるだけ多くの解決手段を持つ」に関して。
これは単純に「具体と抽象」の関係を応用しただけです。抽象度を高めて、全体を大きく分けてから個別具体を出していくと、今回のように様々な具体的な手段を出しやすくなります。選択肢は多くあった方が生きやすいですしね。
また、このように抽象度を上げることで、目の前の具体的な問題が問題ですらなくなったりすることもあります。例えば今回出ていた、「リアクションの応酬で言い負かしたい」という具体的な願いを叶えることが目的になると、「口ゲンカで言い負かすにはまだまだ理論武装が足りない」ことが問題となって、口ゲンカに強くなる理論武装の本を読んでいたかもしれません。だけど、抽象度を上げて考えたことで、言い負かすことはリストから消え、言い負かすことなく遊びに誘われる仲にまで関係性は改善しました。
ね、抽象度を上げる、って、大事でしょ?
「具体と抽象」がわからなかったら、相手の主張がわからない=読解力が低い
ところがどっこい、この「具体と抽象」「抽象度」という概念を、生徒のほとんどは知りません。学校や家庭で教わっていないんですよね。これは相当に問題だと思います。もうね、社会問題。
そもそも「具体と抽象」の関係を理解していなかったら、文章を読解できません。筆者の主張はいつも抽象で、具体はその抽象を腹落ちさせるための手段と言っても過言ではないくらいの関係性だから、この関係性の理解無くして、読解はありえません。これじゃぁ現代文の点数は上がらないです。ついでに言うと英文も読解できません。英単語と英文法を知っていて英訳ができたとしても、抽象度のコントロールができないと読解はできないから。
こうして筆者の主張を読解できないということは、実生活で言うと、相手が言っている内容の要点を理解できないのと同じです。大人の世界でも多くないですか?話の要点をわかってもらえない人や、やたら話が長い人。それらの多くは「具体と抽象」の関係を理解して使いこなせていないことが起因していると私は考えています。まぁ仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。今の生徒たちと同様、我々大人も学校や家庭で教わってきてないから。(私も学校で教わっておらず、大人になってから学びました)
たまに現代文のテストの点数はいいけど、話の要点はわからないという稀有な人もおられます。そういう人は点数を稼ぐ何かしらのセンスで解いてたんでしょうかね。だけど、教育は受講者のセンスに依存するのではなく、万人に通用する理論・理屈を身につけてもらうことが重要だと思うので、学校現場ではそういう教育を施してほしいなぁ。そしたらうちの塾でこんなことを教えなくて済むのに。
人は学ぶことを実社会で活かしてほしい
活かして欲しいなぁ。教科教育の内容をとにかく実生活で活かして欲しい。中学や高校のテストの点数なんて、そんなもんは社会に出てから何の効力も発揮しません。目の前の点数を追いかけるのをいい加減やめて、本質的に賢くなり、豊かな人生を歩み出しませんか?そんな気持ちのある人は老若男女を問いませんので、あんまり人気のない「ろじかるんるん」で待ってます!(笑)